働くハハの暮らしと家計簿

都内で働くワーキングマザーの日記です。

岡崎京子展@世田谷文学館

岡崎京子展@世田谷文学館  奇跡的ないちにち。もう会期は終わってしまったけれど、書きとめておこうと思う。 

展示最後の週末だったことを思い出し、世田谷文学館へ急ぐ。
 
岡崎京子作品はpinkリバーズ・エッジヘルタースケルター 
あたりしかちゃんと読んだことがなくて、世代的にも少しずれているし
80年代、90年代前半をものごころついてから過ごした人とは感覚が違うと思うのだけれど。
 
しかしだからこその憧れというのはずっとあって。岡崎京子だけでなく、80年代カルチャーへの憧れという意味で。

そして、岡崎京子展をみて改めて思う、この人は天才だなぁと。
 
すごく月並みな言い方になってしまうけど、
その時代の空気を切り取れる人って本当に一握りの人しかいなくって。
 
岡崎さんのキャラクターは、どの女の子もすごく可愛くて、
時に脆くて、強くて弱くて、クレージーで。
 
ひとつひとつのセリフが光っていて。
 
印象的な文章、せりふが祖父江さんの手によってレタリングされていて、
ああ、確かにこの文は見覚えがあるなぁと思う。
 
特に印象的だったのは、
「ぼくたちはなんだか全て忘れてしまうね」
からの文。
 

いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。

むしろ、羽毛が、鳥のうぶ毛のような羽毛が、ふわふわと漂うような上昇しているのか下降しているのか、一見するとよく分からないような落ちかたがいい。

 
漫画以外の雑誌記事なんかを熱心に読み込む人、原画を熱心に見る人、コラムをじっくり読み込む人、空間を楽しむ人。
それぞれの楽しみ方ができる展示でした。
30代以上だけじゃなく、20代前半ぐらいの若い人も多かった。
 
ふと気になったのが、はたして岡崎京子の読者層ってどのあたりなんだろう?
 ということ。肌感覚的にはなんとなく分かるんだけど、自分の周りで声高に岡崎京子が好きと公言してる人ってあんまりいない。
サブカル好きな人、そこそこ音楽好きな人だったらどこかで接してるだろうなというのは分かるんだけども。
そして、一生で一度も読まない層もいるだろうなぁというのも納得できる。

したらば2001年においてのアンケートがあった。
インターネットって素晴らしいな。

http://page.freett.com/tach/okazaki_poll_readers2001_05_13.html

※文字化けします。文字コードを日本語(EUC)にすると読めます。

 

この2001年当時の読者層のボリュームゾーン、20〜24の人がそのまま大人になっていたとして、
彼らは現在34〜38歳。その次が39〜44、28〜33あたりか。
もちろん、その後に映画の公開があったり定期的に特集が組まれたりして、
入り口は色々あるけども、少なくとも学生当時私の周りでは主流ではなかったような。

中高生の頃、クラス内で漫画の回し読みが流行っていた時、スラムダンクガラスの仮面、エースを狙え!松本大洋なんかはよく出回っていたけど、岡崎京子にお目にかかった記憶がない。

それにしてもリバースエッジにハマる小学2年生って恐ろしいな…!今どんな風になっていることやら。

でもって館内見ていた中での突然の館内アナウンス、「小沢健二さんのアコースティックライブが開催されます。お時間の許す方は…」で来場者騒然。
ライブについては長くなりそうなので別エントリで書こうと思います。